サッカーを彩るもう一つの華 監督の雑学

2017年9月6日

サッカーの監督について解説

選手についてはもちろんのこと、同じく話題が尽きないのがサッカーの監督ですね。
2015年3月には、これからというところでFIFA日本代表監督の交代劇が大きな話題になりました。

試合をするのは選手だからといって割り切ることができないのがサッカーで、監督も極めて重要な役割を担っています。

日本のサッカーにおける監督の資格や、代表監督の歴史などを紐解いてみましょう。

日本におけるサッカー監督の概要

●ピラミッド構造になっているサッカー監督の世界
日本におけるサッカーの監督や指導者は、S級を頂点として、以下、A級、B級、C級、D級、キッズリーダーという階級に分かれており、指導できる団体の規模や難易度に応じた、大きなピラミッド構造になっています。

●サッカーの監督になるための資格
日本でサッカーの監督になるために必要な資格は、日本サッカー協会公認指導者ライセンスを取得することです。そのライセンス取得にあたって年齢が18歳以上であれば、特別に必要な学歴や経験は必要としません。
こう言うと誰でも監督になれそうですが、もちろんそんなことはありません。ライセンスを取得するためには、それぞれの級に応じたトレーニング・指導方法・医学の知識などについての実技や記述試験というハードルがあり、決して簡単なことではありません。

●プロチームの監督になるためには?
多くのサッカー監督が目標としているのは、各地にあるプロサッカーのクラブチームの監督になることでしょう。
こうしたクラブチームの監督になるには、高校生以下のチームを監督できるB級コーチ、若手育成リーグのチーム監督の資格を有するA級コーチ、Jリーグや日本代表チームを監督できるS級コーチと、順次難しい資格に挑戦してキャリアアップをしていく必要があります。
こうした仕組みのため、つい昨日まで活躍していた現役選手が、今日からは監督になれるということはなく、日本サッカー協会公認の指導者免許制度を取得していかなければなりません。

日本代表監督の歴史は日本サッカーの歴史そのもの

1993年(平成5年)に待望のJリーグが発足した際に、最上位の監督資格であるS級ライセンスが新設されました。この時一斉に、Jリーグの監督が誕生したのです。
同時に、FIFAワールドカップへの出場を目指して日本代表チームを率いる監督が就任しました。
以下に、1992年(平成4年)から、直近の2015年(平成27年5月時点)までの日本代表監督のプロフィールを見てみましょう。

●ハンス・オフト(オランダ)
初代監督であるオフト監督はオランダ代表ユースのコーチとして活躍、その後ヤマハ(現:ジュビロ磐田)のコーチや、マツダ(現:サンフレッチェ広島)のコーチ・監督を務めた経歴を持っており、日本に世界基準の戦術を浸透するため尽力しました。
在任期間は1992年5月~1993年10月、対戦成績は33試合で16勝・9敗・8分、1994W杯アジア予選では、本大会出場までロスタイムのわずかな時間を残すだけの状況から一転してイラクと引き分け出場を逃した通称「ドーハの悲劇」の後、解任されました。

●パウロ・ロベルト・ファルカン(ブラジル)
2代目となるファルカン監督はかつてブラジル代表のミッドフィルダーとして活躍した名選手です。細やかな戦術を重視したオフト監督と異なり、ファルカン監督は選手の自主性を重視した方針を取っており選手達が戸惑ったというエピソードがあります。
在任期間は1994年5月~1994年10月で、対戦成績は10試合で3勝・2敗・4分でしたが、アジア大会でのノルマであったベスト4以上もしくは韓国より上の成績をクリアできず解任されました。在任期間が短かったので少々存在感の薄い代表監督となってしまいました。

●加茂周(日本)
3代目となる加茂監督は日本人初のプロ監督として日産自動車(現:横浜Fマリノス)を率いた経歴を持ち、チームのフォーメーションや選手の距離を近く保ちプレッシャーをかける「ゾーンプレス」という戦術を用いたことで知られています。
在任期間は1995年1月~1997年10月、対戦成績は51試合で27勝・14敗・10分です。1998W杯予選の成績不振で1997年10月に現地で更迭されました。

●岡田武史(日本)
4代目となる岡田監督は選手として古河電工(現:ジェフ千葉)で活躍し、その後はジェフのコーチ、日本代表コーチを歴任。そして、加茂監督の更迭に伴い監督として日本代表を率いると、日本初となるW杯本戦出場を成し遂げました。
在任期間は、1997年10月~1998年6月で、対戦成績は19試合で9勝・6敗・4分でした。日本代表初のW杯本選出場を果たした後の本大会では3戦全敗でグループリーグ敗退となり、その後に退任しました。

●フィリップ・トルシエ(フランス)
5代目のトルシエ監督はナイジェリア代表、ブルキナファソ代表、南アフリカ代表の監督を歴任した後、ベンゲル監督(アーセナルFC監督-2015年現在)の推薦を受け日本代表の監督に就任しました。フラット3と呼ばれる、3人のディフェンダーを直線に並べることによるオフサイドトラップと高い位置でのプレスによる攻撃的サッカーを標榜したことで有名です。
在任期間は1998年10月~2002年6月と長く、FIFAコンフェデレーションズカップ2001、2002 FIFAワールドカップなどに参加し、対戦成績は52試合で24勝・11敗・17分です。なお、2002FIFAワールドカップ日韓大会ベスト16の成績を収めています。初めて国際試合で結果を出した監督ということもあって、今も高い知名度を有する人物です。

●ジーコ(ブラジル)
6代目のジーコ監督はかつて選手として「白いペレ」と呼ばれ伝説的な活躍をした後、住友金属(現:鹿島アントラーズ)に入団。選手としても指導者としても鹿島を強豪に引き上げ、その実績を買われ日本代表監督に抜擢されました。
在任期間は2002年7月~ 2006年6月、対戦成績は72試合で38勝・19敗・15分でした。ジーコ退任後には、コーチの山本昌邦が監督代行を務めました。

●イビチャ・オシム(ボスニア・ヘルツェゴビナ)
7代目は、ユーゴスラビア代表やジェフ千葉の監督を務めた経歴を持つオシム監督です。「賢く走るサッカー」を標榜し、スピードとスタミナを兼ね備えた選手達を揃え、「目的をはっきり持った上での豊富な運動量で相手に競り勝つ」という戦術を取っていました。
在任期間は2006年8月~2007年11月、対戦成績は20試合で12勝・3敗・5分でしたが、2007年11月16日、自宅で脳梗塞で倒れ、監督を続けらずに退任しました。あのまま監督を続けていたらどうなっていたのか、そんな興味をそそる監督でした。

●岡田武史(日本)
8代目には岡田武史(日本)が再就任しました。W杯予選の内容や強化試合の不振により酷評される中臨んだW杯本戦では、堅牢な守備とカウンター戦術が功を奏し、日本代表を初の決勝トーナメントに導く快挙を成し遂げました。
在任期間は2008年1月~2010年6月で、対戦成績は50試合で26勝・11敗・13分でした。

●アルベルト・ザッケローニ(イタリア)
9代目に就任したザッケローニ監督は、イタリアの名門である3クラブ「インテル・ミラノ」「ACミラン」「ユベントス」を率いた実績を持ち、ディフェンスを重視する傾向にあると言われるイタリア人でありながら攻撃を重視したサッカーを目指しました。
在任期間は2010年10月~2014年6月で、2014W杯ブラジル大会後に退任しました。

●ハビエル・アギーレ(メキシコ)
10代目として就任したアギーレ監督ですが、本人のかつての八百長疑惑で2015年2月3日、日本代表監督を契約解除されました。

●ヴァヒド・ハリルホジッチ(ユーゴスラビア)
11代目として2015年3月時点に就任したハリルホジッチ監督は、アルジェリア代表を率いてW杯決勝トーナメントまで導き、優勝国となったドイツ代表を後一歩まで追い詰めた実績があります。

サッカーの監督に関するうんちく

●プロ選手の経験がないサッカーの監督達
オズワルド・オリヴェイラ (元鹿島アントラーズ監督) 、ジョアン・カルロス (元鹿島アントラーズ、名古屋グランパスなど)、三浦俊也(元コンサドーレ札幌、ヴィッセル神戸など)がプロ選手としての経験を持たない監督たちで、スター選手でなくても監督になれるという前例を築いてきました。

●サッカーの監督の服装
サッカーの監督はスーツを着ていたり、選手と同じユニフォームを着ていることが多いかと思います。実は、サッカーでは野球のよう監督の服装に関する規定はありませんが、Jリーグの申し合わせで監督は試合中にジャケットとネクタイを着用することと決められており、理由としては海外チームを迎えた時に礼を尽くすことにあるそうです。

●気になるサッカー監督の年俸
有名な監督ともなるとかなりのもので、ある調査発表によりますと、2014年度の年収1位は、バイエルン・ミュンヘン<を指揮しているジョゼップ・グアルディオラ監督の年俸、1700万ユーロ(約24億2000万円)だとのことです。その他にも年俸が数億円の監督や10億円を超える監督はざらにいますから、有名なサッカー監督ともなると世界的なセレブだと言えそうです。