天才と言われるサッカー選手たち

2017年9月6日

天才と言われるサッカー選手たち


天才プレーヤーは、一見不可能と思われる状況でもゴールを決めてしまいます。

「天才」とは、天性の才能や生まれつき優れた才能を備えた人のことで、努力という枠に収まらないずば抜けた才能を持つ人のことですよね。

サッカーにも天才と呼ばれる選手はいますが、多くの人が「天才」と認めるサッカー選手は、実はそれほど多くはありません。
今回は、数少ない天才サッカー選手を何人か紹介していきます。

■海外の天才サッカー選手

世界のサッカー選手の数は膨大な人数で、世界スポーツ連盟に登録されている人数だけでも2億5000万人にものぼります。
そして、世界中に名選手や一流選手、あるいは超一流選手と呼ばれる選手がいます。

サッカーが好きな人は、リオネル・メッシ、クリスティアーノ・ロナウド、ネイマールという名前を聞けば、彼らが超一流選手だと言う点で異論はないでしょう。
彼らはまさに超一流のサッカー選手で、サッカーの天才なのです。

ここで挙げた彼らが天才であることは、プレー内容と実績が如実に証明しています。
その意味で言えば、ジョージ・ベストやヨハン・クライフ、ジダン、ディエゴ・マラドーナ、ペレなども超一流選手であり、天才と言えるでしょう。
では、メッシ、C・ロナウド、ネイマールが天才と呼ばれる根拠は何かと言いますと、彼らの挙げたゴール数が際立って多いからです。得点した数が他者を大きく引き離していることが、彼らが天才と言われる理由のひとつです。

しかし、サッカーは11人の選手がそれぞれのポジショニングでプレーをしますから、フォワードなど、ゴールをあげるポジションの選手だけがサッカーの天才であるというのはいささか無理があるのではないでしょうか。
ゴールを挙げてこそ勝敗が決まるのがサッカーというスポーツなので、どうしても直接ゴールに結びつくポジションの選手が目立ちますが、本当の意味でのサッカーの天才とはチームプレーも含めた上で見極める必要があるでしょう。

そういった視点で、特にメッシのプレーを見ますと、ゴール数が際立って多いのはもちろんですがアシスト数も非常に多いのです。
メッシが「ゴールの創造者」と言われ、「世界一のサッカープレーヤー」と誰もが認めることには、そんな理由もあるのです。

■日本サッカー界の天才

日本のサッカー界に目を転じると、天才と呼ばれるのにふさわしい選手がいます。
それは2016年現在、コンサドーレ札幌に所属するミッドフィルダーの小野伸二です。

小野伸二は静岡県沼津市の出身で、小学生時代からサッカーの「天才」と呼ばれていました。
彼は第6回U-16 アジアユース選手権で優勝し、FIFA U-17世界選手権大会にも出場しています。

小野伸二がサッカーの天才と呼ばれる所以は、端的に言えば素晴らしいゲームメーカーでありチャンスメーカーであることです。
また、正確なボールコントロール技術は、「ボールと会話できる選手」と評価されています。
さらに、ピッチ全体を俯瞰しているような広い視野を持ち、的確なパスで数多くのアシストを記録する一方で、シュートの技術も高く自らも得点できることが、小野伸二がサッカーの天才と呼ばれる理由と言えるでしょう。

■人は努力でサッカーの天才になれるか?

ここまでに挙げたサッカーの選手達は、どの選手も天才という評価にふさわしいだけの活躍をして、結果を残しています。

そして、サッカー選手に限らず誰もが夢見るビッグマネーを手にした人たちです。
日本にいるとピンと来きませんが、ヨーロッパや南米で活躍する一流のサッカー選手が手にしている年俸は日本のプロ野球選手をはるかに上回る金額です。

ビッグマネーを手にするために、多くの人達がサッカーの天才になりたいと願うわけですが、「天から与えられた才能」という意味の天才だけに、生まれ持った素質がないと無理なのではないかと思うことでしょう。
しかし、ここまで紹介した天才たちの誰もが努力なくして一流選手になったわけではありません。血のにじむような努力をしてきた結果なのです。

矛盾するようですが、その人が天才かそうでないかは、努力してみないと分かりません。
努力する前から素質がないと思って諦めてしまうことは、自分の可能性を発見する前に自分から可能性を閉じていることに他なりません。
言い換えると、そこで辞めてしまうことなくサッカーを続ける情熱を持っている時点で、その人は一定以上の素質を持っていると言えるのです。これはサッカーに限らず、あらゆる物事に共通していると思います。

サッカーの天才を目指す人たちはまず、サッカーを本気で続けることができるかどうか、そこを自問自答しながら自分自身の可能性にチャレンジするのが良いのではないでしょうか。
中には、その努力の結果がサッカー選手としてではなく思わぬところで発揮される人もいます。
それもひとつの天才と言えるもので、サッカーの神様は努力を決して裏切ることはないのです。